照手姫は、江戸時代に歌舞伎( かぶき )などで広く知られた「 小栗判官物( おぐりはんがんもの )」の主人公です。市域では横山段丘崖( だんきゅうがい )を中心に、照手姫と小栗判官にまつわる伝承が残されています。 姥沢( うばさわ )地区は照手姫誕生の伝承を現代に伝える地です。
姥沢のほか、上溝地区では姥川源流地や日金沢(ひがんざわ)、横山台では榎(えのき)神社(照手姫をまつる)、下溝では古山地区とその周辺に照手姫と小栗判官の伝承が数多く残されています。 上溝の日金沢( ひがんざわ、彼岸沢とも書く )の地名由来は、照手姫の乳母であった日野金子という人が住んでいたからだといわれています。
この日金沢の上の横山台地に横山将監という豪族の館がありました。
その将監に女の子が生まれました。
女の子は照手姫と名づけられて、それはそれはきれいなお姫様に育ちました。
ある日森の中で、照手姫は傷を負って倒れていた一人の若武者を助けました。
姫はひと目で、その若武者が好きになってしまいました。
その若武者も姫が気に入ってしまいました。
しかしその若武者は、こともあろうに敵方の侍大将小栗判官でした。 ふたりの愛はそんなことに関係なく深くなるばかりです。
そしてついに照手姫は父の将監を捨てて小栗のところへ走りました。
戦国の世の習い、武士の定めは非情、小栗判官は照手姫の父横山将監を打ち滅ぼしてしまいました。
その後の照手姫はどうなったか、いろいろな話が伝わっておりますが、この上溝のお話は戦国の若い男女の悲恋物語で、恋愛は肉親の情をも断ち切るということを示しています。
このお話は数あるその他の『 照手姫伝説 』の中のほんの一つにすぎませんが、調べていくと本当にたくさんの伝説が残されていますね。
そうです。もうお分かりかと思いますが、てるて幼稚園という園名は、「 照手姫 」にあやかりました。
絶世の美女「 照手姫 」の情熱を、幼児教育にという願いを込めて命名しました。